2021年06月07日

『ひとみの足跡~世界観ブログ~』息子よ。。。特別編

皆さんおはようございます。



昨日は投稿できませんでした。



私たち親子にとって。

本当に大切な日。



そして。



大切な事とのお別れの日でした。



今日の投稿はちょっと長くなります。



長男は生まれた時から泣き虫で。

私は育児ノイローゼになるほど。



結婚して、違う環境で暮らし始め。

まだ、慣れていないときの出産。



私にとって未知の世界過ぎる。

そんな、子育てでした。



前回でお話したように、出産も大変で。



そんな彼が今は高校三年生。



早いものです。



彼は



泣き虫で。

甘ったれで。

生粋のマザコンです。

男性はみんなマザコンですけどね。



保育園でも彼の事を知らない先生はいませんでした。

運動会で。

競争よりも、私たちに手を振りながらかけっこをして。

当然。ドべ。

それでも、彼は楽しそうでした。



お気に入りの色違いの靴を片方ずつ違う色で登園したり。



ちょっと、変わった子でした。



それでも、私は愛しさしかなかった。



2歳の時はリンパ管腫で緊急手術。

最悪は、十二指腸を取り除き腸と胃を繋げるバイパス手術をするかもしれないと。

大丈夫でしたが、部分切除で何とかなりましたが。

待っている間は生きた心地がしませんでした。



小学生になり、始めての参観日。

自身満々に

「はーーーい!!」

と手を上げ。

当てられて。

立ち上がり、大きな声で

「わかりません爆  笑」



満面の笑みでした。

その行動と笑みの理由を聞きました。

「お母さんが言ったでしょ。わからないことを、ちゃんと分からないって言えることは大切なことだって。」



その通りですよ。

本当に私も笑うしかありませんでした。



とってものんびりで、



「いつもやることが遅いですね。お母さんからもみんなと一緒にできるように言ってください。」



って言われて。



小学校5年生の時。

算数が全くわからなくて。



宿題が嫌だって。学校から帰って来て暴れるようになった。

私は先生に電話した。

色んな状況をはなして、先生にこう言った

「先生。私は宿題より親子関係を大切にします。だから、瑛多には宿題をやらせません。」



そして、私は自分から「先生。この子生きにくさを感じてると思うんです。ウイスクを受けさせてください。」



瑛多の事よく知って。

瑛多と一緒に歩んでいくためには必要だと感じたのです。



検査結果は学習障害まではいきませんが。

算数は小学校5年生にして、実力は3年生。



そして、判断力、瞬発力、洞察力が低く

語彙力は高校生。



良い結果と悪い結果の差が大きかった。



だから、生きんくいのだと。いうことでした。



彼は小学1年生の時から剣道をやっていた。

検査結果の通り。



勝ったことは一度もなく。

そして、1本が取れなかった。



最も向かないスポーツですと言われ。

「なんで、剣道をやらせているんですか?」



と先生に聞かれ。

本人が望むことです。

本人はなんていってますか?

と尋ねると。



「自分を強くするために、自分のためにやっている。」



と答えたそうです。



五年生と言えば反抗期も入り。

学校にもしばしばよびだされ。



お友達をいじめたり。いじめられたり。



彼がそんな中より所にしたのが剣道でした。



「最も向いてない」



と言われた剣道でした。



それからです。

彼が剣道で活躍し始めたのは。



小学6年生で個人戦三位。

団体戦準優勝。

大将を務めました。



中学に上がり、当然剣道部。

先輩方と一緒に県大会出場を果たし。



でも、彼が活躍するのは団体戦。

個人戦はどうも、うだつの上がらない試合ばかり。



中学3年生。

最期の夏の大会では中信大会団体戦優勝。

部長、そして大将として役目を果たしました。



物凄い運動音痴の彼が最も向いてない剣道でここまで来られたのは、少年剣道クラブの先生方。仲間。



中学の顧問の先生。そして仲間。



更には我が子の様に見守ってくれた保護者の皆さんのおかげでここまでこれたのだと。



本当に感謝しました。



そんな彼は高校もスポーツ推薦で私立高校へ。

その集大成のの三年最後の大会が終わりました。



結果は個人戦。団体戦とも一度も戦わずの引退。



これまではレギュラーでしたが、前回の新人戦で。

彼の試合が敗退を決定付けてしまったため。



先生からの信頼を失い戦わずしての引退。



コロナかで試合数が少なく。

活躍の場は少なく。



親も観戦できない中での県大会。



補欠として、出来る限りの役割を全うしました。

自分の代わりにでていた下級生。

調子が悪かった。

その下級生に。

「お前らしい剣道を思い切ってやって来いよ。」

と声をかけて。

みんなの気持ちが上がるように。

頑張った最後の試合。



当然未完了です。



が。



彼は頑張った。



今まで、とれだけか辛い稽古をしてきたか。

その辛い姿を私も泣きながら見守り支えてきた。



その事からの解放と果たせなかった無念さで。



この週末は泣きに泣いた。



選手たちの迎えにも泣いていて行けなかった。

1人で駐車場で泣いていた。



すると、保護者の一人から連絡があった。

「高山さん一緒に泣こう。一緒に泣かせて。」



この思いは私だけではなかった。



泣きはらした顔で、みんなの場所に行き

思いっきり泣いた。

みんなも一緒に泣いてくれた。



人生の中でこんなにも泣いたことはない。

そして、今もないている。



「みんなで一緒に泣こう。一緒に泣かせて。」



なんて。優しく。温かい言葉だろう。

人の温かみをヒシヒシと感じ。



今は心の回復を祈るばかりです。



今日は彼も学校は休み。

朝ごはんも食べずに部屋に籠っている。

私より数倍心が傷ついています。

監督の心ある配慮があれば救われるのですが。



母さんが一緒に泣いても

もう駄目な歳に成長しました。





でも、息子よ。

あなたは私にとって最高の息子です。



これからの君の未来にこの体験は必ず役に立つことがある。



そう信じて。

顔を上げて欲しい。



その為にも。

まず、私が顔を上げて。

未来へ進んでいきます。

長い投稿になりました。

最期まで読んでくださってありがとうございました。







Posted by とぷ  at 20:18 │Comments(0)

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